ヘリコプターライセンス-011990年にタンデムコンピューターズを退社し、新たなビジネス展開になるかと思い7月24日~9月28日にへリ免許を取りに渡米(オレゴン州ユージーン)しました。

別にグライダー等の飛行少年だった訳ではないのですが、その時期バブルの後半で全国ヘリコミューター構想が有り、独立時の資格習得として宝石鑑定士にしようかヘリコプターライセンスにしようかで悩み、日本でライセンサーが100~200人しかいないヘリコプターライセンスに賭ける事にしました。
早速、東証一部だった川田工業の仲介でオレゴン州ユージーンのオレゴン大学のヘリコプターライセンス学科の学生となりました。

渡米した日、元自衛隊員の現地駐在員から、此れから自衛隊の早期退職で続々ライセンサーが出て来るのに、何でわざわざ会社辞めて高いお金払って来たのかと言われた時は、人生設計しくじったかなと思って2・3日眠れない日々が続きました。

ヘリコプターライセンス-02

初めてのヘリコプターの操縦は非常に難しく、果たしてたった3週間程で取れる物か心配でしたが、日々体が覚えていき実際2週間を超えたあたりから、水面に石を平行に投げスムーズに飛び跳ねて滑って行く様なスケーティングから、エンジントラブル対応時の突入モードから地面すれすれのホバーリング行為を伴うレディーエンターの掛け声で行う高度な操作も自由に行える様になり、こんな面白い遊びは無いなと思える程でした。

湾岸戦争開始前の慌しい中、米軍の飛行機やヘリコプターが飛び交う中、日本人ヘリコプターライセンス学科の学生達は、それぞれの考えでライセンスを習得して行きました。

その後、USの西海岸を1週間程旅行してから帰国したのですが、日本ではヘリコプターとは操縦面でもビジネス面でも御無沙汰になり、「空飛ぶ不動産セールスマン」のビジネスプランは幻となりました。